INTERVIEWインタビュー
人材育成から地域を活性化する
2020.12.21浦野工務店 |
浦野 元貴
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浦野元貴さんは、ニセコ町出身の30歳。高校卒業後ニセコ町を離れ、美容師をしていたが、2016年にニセコ町に帰省。家業の昭和43年創業の浦野工務店で、現場監督の業務をこなしながら人材の育成に注力している。
「転機」
「戻ってくるか3ヶ月以内に決めてほしい。」これが転機となった父、浦野隆志社長からの一言だった。元貴さんは、急にも思えるこの誘いに対して、1時間後にはニセコに戻り浦野工務店で働く、建設業界に入るという決断を下した。
「技能実習生の受け入れと人材育成」
浦野工務店に入って1年後の2017年に海外から人材を受け入れようという構想が打ち上がった。それは、「日本の建設業界は高齢化が顕著に進んでおり、人材の高齢化で建築業界が衰退していってしまうのではないか?」という課題感があったため、海外から若く、勉強熱心な人材を入れることによってそれを打破しようと考えたのである。
海外から技能実習生を受け入れて労働力として現場で働いてもらうという話は世の中にたくさんあるが、浦野工務店は違う。現場監督として育てているのである。外国人エンジニアを現場監督として育てるという工務店はそうないのではないだろうか。
元貴さんがこのプロジェクトの担当となった。外国人エンジニアの受け入れにあたっては、斡旋会社が数多あるため、自ら東京に出向き、複数社面談し、信頼できる会社を探しだした。そして、ベトナムからエンジニアを受け入れることとなった。また、ベトナムにも出向き、面接も行った。新たに寮を準備し、しっかりした教育を行っている。
教育もただ建築の技術を教えるだけではない。人との接し方や経済的な考え方など、人としての根本的なところから丁寧に、1週間座学で教育する。なるべくスムーズに理解してもらうために独自に200ページを超える資料も作成した。
・元貴さんに、ここまで、徹底的に教育をする理由を尋ねた。
「うちに来た人は、普通の人より豊かになってもらいたい。その一心で、やっている。技術を教えるのはもちろんだけど、経済的な考え方などもしっかり教え、育てて、ベトナムでもいいし、日本でもいいし、独立するくらいになってもらいたい。」と語った。
このエンジニアの受け入れを契機に、若手の採用と人材育成に力を入れていった。その結果、職場の平均年齢は30代と若返りを果たしたのである。なかには、スノーボードをするためにニセコにきて未経験から、現在は、主戦力として働いている人もいる。
・今後の人材育成の方針についても尋ねた。
「今後も、積極的に若い人材を入れていきたいと思っている。特に若い人は、建築業はきつく、見て学べ!というような印象をもっている人が多いと思うけど、丁寧な教育制度があるので心配しないでほしい。建設業の経験がなくても問題ない。むしろ経験がない素直な人のほうが良い場合もある。」
「また、現場の職人さんに対しても教育をすることによって、年齢があがって体力仕事がきつくなって来たときに、体力仕事じゃない仕事で活躍してもらいたいと思っている。現場を長年やって知り尽くしているという点は心強い。せっかくうちに来てくれた人には豊かになってもらいたい。」と語る。
「ビジョン」
・将来的な展望は?
「将来的には、ニセコ町に建築を学び海外からも生徒を受け入れる教育環境を作っていきたいと思っている。昨年、ドイツで職人を育成するアカデミーを視察に行った。そこでは、現場で働きながら、アカデミーに通い、座学で体系的に学びつつ、実際の機材を利用して実践的な学習を行う。これによって、高い能力・知識をもった職人を育成している。
このように、現場で給料を発生させながら、実践向きの特化した勉強をできる場所があり、職人さんの世界に触れていく機会を創出できれば、若い人が建設業界に入りやすくなることに加えて、職人としての能力も向上する。このような人がニセコ町に増えることは、建設業界が活性化するし、地域の活性化につながるんじゃないかと思っている。」
「そして、将来に夢や希望を持って働いている人が少なすぎる、お金持ちになりたい、社長になりたい、小学生みたいな夢、希望でもいいと思う。
今は年功序列でお給料が高い、夢や希望が実現ず今のままでもいいかと自分に嘘をつく人が多いと思う、そうではなく、能力があるからお給料が高い、夢や希望を実現させるためにその人の成長をサポートするそんな会社を作っていきたい。」
そこには、人材育成に対する熱い思いを持った若者の姿があった。
プロフィール
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浦野工務店
浦野 元貴
1990年ニセコ町生まれ 30歳
倶知安高校卒業
札幌ビューティックアカデミー卒業後
美容師5年
浦野工務店勤務4年
文責:宮坂 侑樹