INTERVIEWインタビュー
スノーサーファー大工さん
2021.03.07株式会社石塚建設 |
永田 貴徳
取材日:2021.02.17
Photo:
ニセコに来たきっかけ
初めてニセコに来たのは24年くらい前で、22,23歳のとき。スノーボードをとことん楽しみたいという気持ちで、冬にペンションで居候して、空いている時間に滑るという生活スタイルだった。いわゆる”山ごもり”ってやつだね。
ニセコの山は魅力的だから1年じゃ滑り足りなくて、そんな生活を数年続けていたときに一緒に滑っていた仲間から、ボーダークロスの大会に出てみないか?と誘われて大会に出た。それがきっかけで、プロスノーボーダーになった。周りの人に結構助けられながらだけど、10年くらい大会出て競技を続けてきた。プロ資格はやってきたことの一定の評価だと思う。
まあ、奥さんはクロスのナショナルチームに入ってたし、奥さんのほうが成績良かったんだけどね。笑
プロスノーボーダーといっても、それだけで食べていけるわけじゃないから、夏は北海道の別のまちで働きながら、冬にはニセコに山ごもりするという生活をしばらく続けていた。そして、結婚を期に、奥さんが「ニセコに住みたい。」といったこともあって、ニセコに住むことにした。その頃は、ちょうどニセコの不動産バブルが始まった頃で、今まで冬場に、借りていた家も借りれなくなってきていたので、中古物件を購入してニセコに移住した。
大工業との出会い
スノーボードをしたくて、ニセコに来たけど、自分の手に職がないことに愕然とした。当時は時給も安かったし、ラフティングガイドもやっていたけど、毎日は仕事がないから、結婚を期に、自分も手に職をつけないといけないと思った。
それで、今から12年まえに建築の道に入った。理由は、昔、実家を建てた大工さんと庭師がかかっこ良かったので、憧れと興味があったから。
でも、30代になってから、ズブの素人が初めての仕事ということもあって、なかなか雇ってくれるところがいなかった。
最初は、友達がやってた小さな工務店に雇ってもらった。そこは小さな工務店だから何でもやらなきゃいけなくて、草刈りをやったり、ドブさらいやったりをしながらだけど、少しづつ覚えていった。でも、建築工事が年に2、3件しかない状態が続いていたので、なかなか、技術が身につかないという焦りがあった。
それで、今の会社「石塚建設」の門を叩くことにした。当時は、子供がすでに1人いたし、2人目もお腹にいて、もう必死の思いだった。アポ無しで、「社長いらっしゃいますか?雇ってください!」って、マジで飛び込んで行ったんだよね。笑
そこで、面談してもらって、1週間以内に連絡するという回答をもらったけど、なかなか連絡がなくて、ダメかと思った8日目に「採用です。」と回答が来た。それが、36歳のときだった。当時、石塚建設には、墨付けなんかもできる大工さんがいたし、そこから大工仕事を必死に覚えていった。それでも、自分で何でもできるようになるには、7、8年かかった。
大工の世界は普通だったら30歳くらいには棟梁になるのが一般的だから、年下の業者からも、あんちゃんとか呼ばわりされたり、色々言われたけど、全然苦じゃなかった。大工掃除も楽しかったし、重機の操縦も楽しかった。色々な下働きをしてきたおかげで、今じゃ何でもできるようになった。コーキング塗装も造成も、基礎もできる。やらないのは設備と電気くらい。
経験を重ねていくうちに、あるとき、図面が3Dに見えるようになってきた。それから、親方に聞かなくても動けるようになった。そこからは最高に面白かった。大工の仕事は、もともと自分が思っていたよりも、はるかに面白い仕事だった。
そんなこんなで苦労した経験から、大工以外にも稼がなければいけないと思い、他に宿泊事業も始めた。ヒラフにシェアハウスもオープンさせた。シェアハウスは、中古物件をかって住もうと思ったんだけど、内見したときに、シェアハウスの図面が頭に降ってきたんだよね。これも大工やってたからだね。
仕事の作業着はパタゴニアのワークウェアを着ている。今着てるのもそう。麻の生地だから通気性も良くて、丈夫だし。火花をつかう仕事でもいいんだよね。化学繊維だと解けて使えなくなっちゃうから。いいものは長く着れるし、耐久性もあるし、体にもフィットする。
仕事柄、単純作業が多いから安い服だとしんどい。一年間のうち、仕事着を着ている時間が長いし、作業着に投資するようになった。こういうのだと子供とも遊べるしね。意外と真面目だろ?笑
大工業に対する思い
今の大工はタイムイズマネーみたいな感じでスピードが求められるけど、俺は、危ないし、合理的じゃないと思っている。家を立てるというのはお客様にとって、何千万円という一生に一回のものに携われる、ものすごくいい仕事だと思っている。それが、そんな効率化でいいのかという思いがある。それよりも、技術を磨いて、お客さんの思いにどれだけ寄り添えるかが重要じゃないかな。
こだわって建てた自宅
自宅を設計して立てるというのが目標だった。少々、設計士に修正はしてもらったが、自分で設計した。
この家のコンセプトは、環境負荷も少なくて健康にもいいってこと。
震災で、エネルギーが問題になったときに、エネルギーの消費を抑えた家を作りたいという思いがあった。スノーボードをやっているから、余計、環境問題にも興味がある。俺らが昔来たときと比べて、今は雪が全然少ない。「自分たちがこんだけ楽しく遊ばせてもらった雪山の環境を子どもたちに残したい。」と、勝手に使命感持ってやった。
それと、子供がアレルギー出づらい家にしたいと思った。俺以外の家族全員がハウスダストがだめだから、ホコリが出ないことが重要だった。だから、断熱・気密・換気・通風にこだわった。
窓もトリプルガラスだし、壁も付加断熱30ミリのG1ボード+100ミリのグラスウール吹き込みで、かなり断熱効果あって結露しない。内壁も病院で使うカビを生まないという塗装にした。そして、空気を循環させるために天井も高くした。
この家に引っ越してから、全員のアレルギーの症状が治った。奥さんも「私の肌綺麗になったでしょ」と上機嫌だよ。笑
こだわった土間。現場仕事だから、濡れた長靴で出勤するのは嫌だったけど、乾いた長靴で出勤できるようになった。
ニセコの良さ
ニセコは5-10分でゲレンデとか羊蹄山にも行けるし、スノーボードをライフスタイルの一部にできる。それが地域の魅力でもある。他の地域だったら絶対そんなことできない。仕事終わりに、1時間だけナイターとかできるしね。その感覚で世界で注目されているパウダースノーが滑れて、誇りにも思えるよ。
それと、ニセコは小さな自治体だから、仕事とコミュニティの近さが自分にとっては良かった。例えば、自分が建てた幼児センターに子供が通って、育っていくというのは本当に良かったし、子供が卒業してからも手直しで行ったりすると、声をかけてもらえるのも良かった。子供が成長するその中で仕事もさせてもらう、そして自分も成長させてもらう。っいうてのは本当によかった。あと、環境を重視するという行政の意思表示もわかりやすかったし、家族にフィットした感じかな。
今の時代はPC、携帯あればネットで何でも揃うし、田舎でもそんな不便じゃない。都会よりも自然と近い距離にいれる環境は子供にとってもいいと思う。子供には勉強は最低限できてほしいけど、それよりも生きていく力を身につけてほしい。と思っている。主役は子供だよ。
ゲンテンスティック
・話は変わるんですけど、たかさんは今ゲンテンスティックのライダーですよね?いろんな板を乗って行き着いたのがゲンテンスティックなんですか?
ここまでスノーボードを長くやってくると、どんなボードでもある程度扱えるようになる。例えば、レンタルボートなんかでもそれなりには乗れる。けど、ゲンテンスティックは全然ちがうんだよね。ゲンテンスティックは、サーフィンに近い感じ、普通のスノーボードとは滑り方が根本的に変わる。だから、スノーサーフって言われるんだよね。
今、60機種くらいあって、それぞれシェイプが全然違って、乗り心地もぜんぜん違う。ゲンテンスティックは、それぞれのボードに個性があって、それぞれの板のいいところに、乗り手が合わせにいくって感じ。そして、ボードの個性と乗り手の滑りが合ったときに、ものすごくいいターンができたりする。
ゲンテンスティックの板でこの斜面滑りたい!という思いに向き合えるかが重要だと思う。
夏大工やってスノーボードやるライフスタイル
・スノーボードやって夏にガッツリ大工やるライフスタイルって憧れる若手もいると思うんですけど、どう思いますか?
大工は体力・仕事内容的にも甘いもんじゃないけど、その先に「大変だけど、大変じゃなくなる、面白くなる。」というステップが必ずある。
俺らの仕事はすぐに結果が出る仕事じゃなくて、経験を積み重ねてようやく一人前になる仕事だから、長く住んで、しっかり仕事も覚えてもらうという人なら来てくれたらいいと思う。
重要なのは、向き不向きじゃなくて、やる気のある人。
この仕事は施主さんが主役の仕事だから、その思いにどれだけ寄り添えるかが大事。そのために技術を磨いたり勉強したり。そういう熱意が大事だと思う。
一生懸命働いて、一生懸命遊ぶ!なんでも一生懸命やるのがいいと思う。
どの分野でも一生懸命遊ぶ人は一生懸命働いていると思う。玉井太郎さん(ゲンテンスティックのオーナー)もそうだけど、しっかり遊んでいるひとはしっかり働いていると思う。
今、都会で苦しい思いしている人もいると思うけど、若かったら何でもできると思うし、思い切ってこっちに来てもいいと思う。
俺の場合は無職でこっち来たけど、なんとか家族もいて家もあるという状況にまでなれた。そして、メイドインニセコのゲンテンスティックに乗って地域密着で滑らせてもらえている。今まで約10年間、休み無しでひたすら走ってきた。今年は雪もいいし、思い切って滑り倒そうと思ってるよ。
プロフィール
Photo:岩崎 大地
株式会社石塚建設
永田 貴徳
1975年兵庫県神戸市生まれ45歳
高校卒業後、会社員となるが21歳の時、退社。ニセコへ。28歳の時にスノーボード、プロ資格を取得。現在はスノーボードの楽しさ、魅力を伝えるための活動を、ゆっくり展開。30歳、結婚を期に建築の道を目指す。ニセコ町株式会社石塚建設に勤務。9年目
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文責:宮坂 侑樹