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INTERVIEWインタビュー

対話が生まれるランドマーク

2021.04.30

出口商店 |

出口 稔・美紀子

取材日:2021.02.25

Photo:牧 寛之

ニセコ町の福井地区に、道ゆく人が立ち寄る場所がある。この地域のランドマークとしての役割を果たす「出口商店」だ。今は営業していないこのお店には、オーナー自作の木工作品がズラリと並ぶ。この場所に居を構える出口稔(でぐち みのる)さん・美紀子(みきこ)さんご夫婦は、ここでさまざまな人々が行き交う姿を見守っている。

札幌からニセコへ

稔さんはニセコ町生まれのニセコ町育ち。両親は近藤地区で農業を営んでいた。小学生の頃は、冬は馬そりとスキーで学校に通っていたそうだ。高校は隣町の倶知安町に通い、卒業後は1年ほどニセコ町内に留まった。しかし、昔から抱いていた都会への憧れもあり、その後札幌に行くことを決めた。美紀子さんは札幌生まれの札幌育ち。買い物や交通など取り立てて不便さを感じない生活を送っていた。お二人の出会いは、塗料の製造販売を行う札幌の会社に勤めていた時だった。稔さんはそこで建物の塗装の色合わせ(色の調合)などを主に担当していた。札幌のテレビ塔や時計台などの色合わせの仕事にも携わった。

二人がニセコ町に移り住んだのは2015年だった。その時、出口商店はほとんど営業していない状況だった。出口商店は稔さんの両親が開業した。稔さんの父が高齢になり、また稔さん自身が都会の暮らしから離れて田舎で生活を送りたいという思いを抱いていたため、美紀子さんと一緒に札幌からニセコに移住することとなった。

出口商店

出口商店が営業されていた当時は、食べ物や飲み物、衣類、薬品、化粧品、文房具、学用品まで、様々な品物を取り揃えていた。いわゆる小さなまちにある「お店屋さん」で、一先ずそこに行けば生活に関わるものは一通り揃えることができる、地域のライフラインのような存在だ。稔さんの父は、車を購入するまでは「御用籠(ごようかご)」に実家で採れた卵を入れて汽車で小樽まで向かい、現地で卵を売った後に、品物を仕入れて帰ってくるという生活をしていたそうだ。

出口商店では、「御通帳(おかよいちょう)」というものをお客さん1軒に対して1冊預けていた。これはいわゆる「ツケ払い」のシステムで、お店に通う頻度が高いお客さんが、ある程度まとめて支払いをできるというものだ。出口商店で購入したものを御通帳に書き溜め、年に2回支払いをしてもらうのだそうだ。「昔の人って結構〇〇(苗字)さんちの△△(名前)ちゃんって言い方するよね」と稔さん。小さなまちや地域では、住民同士の距離が近く、互いの信頼関係が構築されていた頃の便利なシステムだ。

出口商店を行き交う人びと

現在出口商店は「商店」として営業しているわけではないが、何かと人が立ち寄ることが多い。例えば、荷物の配達で福井地区に来た運送業者が出口商店に立ち寄り、近隣地域のお宅の場所について尋ねる。「荷物の届け先が分かりにくい時は、取り敢えず出口さんのところに行って聞いてみてって言われるらしいよ(笑)」と笑う稔さん。出口商店がある場所を起点にして道案内を受ける人も多いようで、お店は営業していないが看板はこれからも出したままにしておこうと考えている。出口商店は福井地区のランドマークのような役割を持っている。

仕事の休憩などで出口商店に立ち寄る人も多い。景色が良い場所なので、車を停めて写真を撮る観光客もいる。出口商店の入り口には自動販売機が設置されており、農作業の合間に飲み物を買いに来て一息つく農家さんもいる。冬はお店の周りの除雪が大変だが、それでも立ち寄ってくれる人のことを考えてなるべく除雪を行うようにしているそうだ。立ち寄った人とは、挨拶をしたり、軽く立ち話をしたりと交流する機会も多い。出口商店は、人と人との日々のコミュニケーションの場を自然と作り上げている。稔さんと美紀子さんご自身も「一箇所にいながら色々な人を見られるのは面白い」とあたたかく語る。

暮らしの中で感じること

札幌で生まれ育った美紀子さんは、移住に伴う突然の環境の変化に驚くことが多く、実際に地方に住んでみて感じたことや学んだことがあった。「ニセコでの暮らしの中で、車を運転できないのは不便だと感じている」。突然の病気や怪我で家族が動けなくなった時に、自分は車を運転することができないので、その時にどう対応したら良いのだろうと不安に感じることがある。福井地区で取り組まれている「助け合い交通」があることでなんとか生活できており、とても助かっているそうだ。

美紀子さんの両親は会社員だったため、さまざまな人が入れ替わり立ち替わりやってくる「商店」という環境にも驚きが大きかった。稔さんの両親がお店をされていた時は、農家のお客さんが多いため早朝からお店を開けていた。また、常に誰かしら人がいるので、稔さんの父と母が交代でご飯を食べたり昼寝をしたりしていた。お店をやることの大変さを感じたそうだ。「今思えば、シフトのようなものをつくって交代制で長い時間働くなんて、コンビニの草分け的な存在だよね」と稔さん。

稔さんは現在の暮らしの中で木工作品の製作に熱中している。稔さんが作品製作を始めたのは今から約5〜6年前のこと。作品のほとんどは廃材を使って作ったものだそうだ。稔さんの作品は、出口商店の店内に所狭しと展示されている。フォトフレームやオブジェなどの他にも、木製のラジオに既製品のラジオの基盤を取り付け、実際に番組が聴けるようになっているものなど、アイディア満載の作品がたくさんある。出口商店に立ち寄った人の中には、出口さんの作品を見ていく人もいるのだそうだ。「とにかく作るのが楽しくて、気づいたらこんなに作ってた」、そう話す稔さんはとても幸せそうだ。

出口商店に立ち寄る農家さんたちは、夏はとても忙しそうにしているので、声はかけるがゆっくりお茶を飲んで話をする時間はなかなかない。「冬場に交流する時間がつくれたらいいんだけど」。出口商店の敷地入口には、「NISEKO FUKUI BASE」の文字が刻まれた稔さんお手製の木製看板が設置されている。ふらりと立ち寄った人をあたたかく迎え入れ、挨拶を交わす。出口商店は地域の人びとが親しみと愛着を持って行き交うことのできる拠点になっている。

プロフィール

Photo:牧 寛之

出口商店

出口 稔・美紀子

2015年にご夫婦で札幌市からニセコ町に移住(稔さんはニセコ町出身、美紀子さんは札幌市出身)。出口商店は現在商店としては営業していないが、稔さんが趣味で製作した木工作品が店内に展示されており、福井地区に来た人々が気軽に立ち寄るランドマークとなっている。ニセコ町での生活を楽しみながら、さまざまな人々が行き交う姿を見守っている。

文責:佐々木 綾香

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※掲載の完成予想図は、図面を基に描き起こしたもので建物の形状・仕様・色調・外構・植栽等は行政官庁の指導、施工上の都合及び改良のため、一部変更が生じる場合があります。
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