INTERVIEWインタビュー
「ハッピーに生きる」を体現したい
2021.09.29ニセコ町地域おこし協力隊 |
飯田 絢香
取材日:2021.04.21
Photo:牧 寛之
飯田絢香さんは地域おこし協力隊としてニセコ町に2019年にやってきた。いつもにこやかで気さくな飯田さんの配属先はニセコバスだ。ニセコ町主導で行っているデマンドバス「にこっとBUS」のオペレーターとして地域の交通のサポートをしている。「にこっとBUS」は決まった路線を運行する一般的なバスとは異なる。電話一本で予約ができ、複数の利用希望者の出発地と目的地をプログラムで最適化し、複数人の乗合で運行するバスだ。新しいカタチで町内の移動手段の提供に貢献している飯田さんに、彼女が将来実現したいことについてお話を伺った。
身近にあった自然との触れ合い
飯田さんは新潟で生まれ、10歳までを新潟県の上越市で幼少期を過ごした。海と山が近く、夏は海水浴をし、冬はスキーをするなど自然に触れながら育った。10歳の時に両親の仕事の関係で神奈川県藤沢市に引越した。藤沢市での暮らしも海が身近にあった。海がないところに住むことはないと思っていたが、ニセコは特別な場所だった。羊蹄山を代表とする豊かな自然と異文化溢れる国際色が豊かなところに魅力を感じ、訪れてすぐに住みたい町だと思った。
海外経験で得られたもの
20歳になったら海外留学に行くと決めていた。それは、自分が実際に経験したことを大切にするという彼女のモットーと、日本にはない価値観や文化、考え方を外国で体感することが今後の自分の人生に大きな価値があると考えていたからだ。アルバイトで貯めた自分のお金で、大学3年の夏休みにロサンゼルスに1ヶ月間行った。高校生の頃から念願の海外短期留学だった。自分が思い描いていたアメリカの空気を感じ、「イメージしていたことに間違いはなかった」と飯田さんは確信した。まさに、日本にはない文化や価値観を体感できた。この留学で飯田さんには夢ができた。それは「世界一周」だった。大きな夢を持って日本に帰国した。
大学3年の秋から就職活動に入っていった。飯田さんはしっかりと人生設計を考えていた。それは多様な国々の文化を体感するための世界一周と日本においても社会人経験をしっかり積むこと。まずは日本での社会人経験からだった。就職したのはI Tベンチャー会社で、営業職を希望した。人と接する仕事をしたかったからだ。担当した営業部署は、電話機や複合機などを扱うOA機器の部門で、主に中小企業の社長と商談する機会が多かった。多くのことを吸収できる環境で、仕事でもプライベートでも色々な人に会うことがとても楽しかったと飯田さんは振り返る。
2年間の社会人生活の中で、日本にはない多様な価値観や文化を感じさせてくれた海外への思いが強くなってきた。そこで、会社を辞めて、オーストラリア一周を目標にワーキングホリデーに行った。オーストラリア一周が出来れば、世界一周もできるのではないかと考えた。まずはパースで語学学校に通い友達を作った。そして、南オーストラリアを回ってゴールドコーストにたどり着いた。日本食レストランとイチゴ農場でそれぞれ4ヵ月間働いた。まさか学生時代の4年間、賄い目当てで働いた東京の北海道海鮮居酒屋でのアルバイト経験が、オーストラリアで活きるとは思ってもいなかった(笑)。さらに北オーストラリアをバックパックで巡った。このバックパッカー経験で獲得したのは、彼女の目標である「これで世界一周もできる」という自信だった。
ニセコ経由の世界一周66カ国の旅
オーストラリアから帰国した際、成田空港からの帰りの電車の中で思ったことがある。「日本のサラリーマンはなんでこんなに疲れた顔をしているのだろう」。過去の2年間の社会人経験とも照らし合わせて、オーストラリアから帰ってきたギャップは大きかった。
「ベンチャー企業ではなく大企業はどんな働き方なのだろう」。そう思い立って、今度は4年間、東京の大手広告代理店で働いた。テレビ好きだったことと世の中に発信する側の業界はどのような世界なのか知りたいという理由からテレビ部門の営業アシスタントの仕事に就いた。様々な部署・部門があって、たくさんの人がそれぞれの役割を持って働いていた。世間に出る前の多くの情報が集まり、企画を生み、世に出したものが話題になる、まさに世の中を動かしている業界だと感じた。ベンチャー企業と大企業では、働く環境に多少の違いはあるが、働く人は結局、同じ一人の人間であることに違いはなく、人としての能力に大きな差はないと感じた。正社員と派遣社員で異なる雇用形態で働けたことも良い経験となった。残業がほとんどない派遣社員として働いていた大手企業勤めの頃は、プライベートの時間が増えて心も体も充実した生活が送れた。資金も貯まり、さあ世界一周に行ける!でも、その前に一つ経由したい場所があった。それがニセコだった。
オーストラリア滞在中に地元のドライバーさんから「日本だとニセコが最高。スキーをしに毎年滑りに行っている」と言われたことを覚えていた。海外からはるばる毎年通う場所はどんな場所なんだろうと気になっていた。スノーボードも好きだったし、学生時代にできなかった山籠りで住み込みで働くこともしてみたかった。だから、海外に行く前にニセコで一冬、スキーロッジで半年間、フロントスタッフとして働いた。初めて体験したニセコでの生活とパウダースノーは忘れられないものになった。
2015年6月、飯田さんは1年半になる世界一周の旅にでた。ロサンゼルスでの留学から約9年越しの夢の実現だった。ロシアから始まったこの旅は、汽車やバスなどを乗り継ぎ、ヨーロッパ〜アフリカ〜アジア〜オセアニア〜南米〜北米と合計66カ国に渡って旅をした。基本的に1都市2泊3日、大都市では1週間ほど滞在をして世界を巡った。日々は常に選択と決断の連続で目まぐるしかった。今いる国の最新情報を現地で収拾しながら、次に行く国、行き方、治安、気候などを調べ、宿泊場所や移動手段を確保した。また、滞在中は現地の方とのコミュニケーションを大切にし、その地の人や文化、風土を体験した。異文化での暮らしをより深く理解するために、旅の半分はユースホステルといういわゆる安宿に宿泊し、もう半分の期間は、現地に住む人の家に宿泊させてもらった。「一人旅で怖い思いをしたことは無いの?」と聞かれるが、幸運なことに危険な場面に遭遇することはなかった。困ったことと言えば、宿の人が手配してくれたタクシーが来なくて飛行機に搭乗できなかったことくらい。それも今となっては笑い話となっている。バスや電車などの交通機関が定刻通りに運行すること、紛失物が手元に戻ってくること、丁寧な接客サービスなど、日本では当たり前のことが、海外から見れば日本文化が異常であると捉えられていることを知った。予期せぬトラブルは日常茶飯事で、人や状況に対する順応性が養われたのはこの経験のおかげである。世界中の多様な価値観や暮らしを体感できた。発見の連続でとにかく楽しい日々だった。お金では買えない経験だった。
ニセコで挑戦していること
世界一周から帰国し、旅行会社に就職をした。ツアーの手配や航空券やホテルの予約など、旅行のアレンジをする仕事だった。自身の世界一周の経験を活かして働くことが出来た。お客さんのニーズを先回りして提案を行うなど、ホスピタリティを学んだ。
その一方で人が多く、窮屈で忙しい関東での生活の中で再び感じることがあった。それは、「海外で感じたように、日本でももっと楽しくハッピーに暮らせないのだろうか」そこで思い出したのがニセコでの生活だった。豊かな自然の中に多様で自由に暮らす人々の生活がニセコにはあった。ニセコ町の地域おこし協力隊に応募し、2019年にニセコを再び訪れた。
ハッピーに生きる
協力隊に赴任して、飯田さんがニセコで行いたいことは「ハッピーに働き、生きていくことの体現」だ。幸せとは心の豊かさと考えている彼女にとってハッピーな生活とは、日常の暮らしに加えて、定期的に海外経験を積み続けること。ニセコを拠点に日本と海外の両方で活動ができるようになることが将来の目標だ。そんな暮らしをニセコで実践するという目標に向かって、少しずつチャレンジを始めている。それは地域住民へのネイルサービスの提供だ。
女性が日々の生活のモチベーションを上げるものの一つにオシャレがある。その中でも彼女ができることはネイルだった。「ネイルを通してニセコにハッピーを届けたい」。自身が多様な働き方の一つのモデルケースとなり、ニセコでの暮らしぶりを日本全国に広める。多様な働き方が浸透すれば、日本の幸福度も上がるかもしれない。日本人の接客や技術など細やかなサービスは価値がある。海外の人にも喜んでもらえると思う。ニセコや日本の魅力を海外へ発信しハッピーを届けたい。そう語る飯田さんの目はとても輝いている。ネイルの講習会に通い、技術と知識を身につけて、質の高い出張ネイリストを目指している。彼女のネイルはクチコミで顧客の輪が広がりつつある。
「正直まだまとまっていないですけどね」と飯田さんは語る。しかし、自分が考えたことをまっすぐにトライし、達成し、経験してきた飯田さん。その経験を元に発せられる彼女の言葉はとても心に響きやすく、説得力があった。そして何より、今の生活を彼女自身とても楽しんでいる。飯田さんのニセコでのチャレンジはまだ始まったばかりだ。
プロフィール
Photo:牧 寛之
ニセコ町地域おこし協力隊
飯田 絢香
ニセコ町地域おこし協力隊(ニセコバス配属)。新潟県出身。2019年に神奈川県藤沢市からニセコ町に移住。大学卒業後、ITベンチャー企業での営業職やオーストラリアでのワーキングホリデー、大手広告代理店での営業アシスタント、世界一周の旅、旅行会社での旅行アレンジの仕事など、多様な経験を経てニセコ町に移住。現在「にこっとBUS」の予約オペレーターとして地域交通のサポートを行いながら、出張ネイリストとしてニセコ町に定住することを目指し、精力的に活動を行っている。
文責:牧 寛之