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INTERVIEWインタビュー

歴史を伝える曽我とニセコの案内人

2023.03.10

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米田 齊

取材日:2023.01.31

Photo:佐々木 綾香

ニセコ町の北、ニセコアンヌプリの山並みが眼前に迫り、美しい農地が広がる曽我地区。北海道開拓時代には、曽我祐準(そが すけのり)子爵が地主として、曽我農場という広大な農地を営んでいました。そんな曽我の歴史に精通しているのが、ニセコ町に長年勤められた米田齊(よねた ひとし)さんです。米田さんは曽我地区だけでなくニセコ町全体の歴史にも明るく、日々、独自の調査研究·記録の作成を行っています。米田さんが生まれ育った曽我の歴史も紐解きながら、米田さんのこれまでの人生や活動、その思いについてお話をうかがいました。

米田家と曽我地区のつながり

米田さんはニセコ町曽我地区の生まれ育ち。小学生の頃に第二次世界大戦を経験した世代です。米田家と曽我の関わりは明治の北海道開拓時代に遡ります。

米田さんの父の養父である米田貞五郎さんは、曽我農場に最初に入場した3人のうちの1人でした(ほか2人は吉村辰治郎と小泉彦右衛門)。明治34年に、曽我農場の地主(曽我祐準子爵)代理人であった吉田秀雄との間で小作契約を結び、小作人として曽我農場で働き始めます。この吉田秀雄という人物は、米田さんの父方の祖父であり、その生まれは、曽我祐準子爵と同じ、福岡県の柳川藩に端を発しています。米田家のルーツを調べていく中で、その一つは曽我家に近いところにあったということが分かったそうです。

曽我の歴史に関するさまざまな資料を見せてくれました。

曽我農場が開放されたのは昭和12年のこと。小作人たちからの自作農の熱望を受け、当時の農場主であった曽我祐邦(そが すけくに)子爵が有償で譲り渡しました。この農場開放は、曽我地区の人々の地域愛や団結力を醸成するひとつのきっかけになっているようです。

「小作人だった人が自分の土地を持てるようになるというのはすごいこと。その喜びはすごかったと思います。その強い思いが、地域の人たちを団結させたんだろうね。みんなの願いが集まって実現できたことが地域の誇りとなって、それが曽我地区の強い団結力という感性を創ってきたのかもしれないですね」

曽我という地に身を置き、身近な家族から開拓の歴史を直接聞いてきた米田さんだからこそ、当時の人の思いに気持ちを寄せ、その喜びをリアリティを持って想像することができるのかもしれません。

米田さんが製作された曽我農場に関連する地図資料

米田さんの子供時代、曽我での暮らし

米田さんが生まれた当時、米田家は農業を営んでいました。主にひえ、いなきび、馬鈴薯(ばれいしょ)を作り、鶏も飼育していました。曽我地区を含めたニセコ周辺地域は、当時は米を作れるような環境ではなかったため、寒冷地作物として馬鈴薯が多く育てられたのだそう。曽我神社前の高架橋の下には米田家が所有していた馬鈴薯の加工施設跡が残っています。

また曽我周辺では一家に一頭乳牛がいたそうで、自宅の敷地には飼料を貯蔵するためのサイロがあり、絞った牛乳は一斗缶に入れて集乳所に持参していました。米田さんが物心ついた時には、周囲では野菜づくりだけでなく、米づくりをしている人も多くいたそうです。

曽我農場の事務所は芙蓉(ふよう)橋の近くにあったそう。

米田さんが子供の頃には、曽我地区にも小学校がありました。米田さんは小学校3年生までを、当時の「狩太尋常高等小学校」で過ごし、4年生の時に「曽我国民小学校」に転校しました。小学校卒業後は、狩太尋常高等小学校の高等課に進学、同校を卒業後は、狩太村役場(現ニセコ町役場)の職員となりました。

ニセコ町で長年携わった仕事

米田さんは狩太村役場に就職後、さまざまな課や組織での仕事を経験し、役場職員時代に最後に勤めた教育委員会では16年、そして教育長の役職を8年間務め上げました。

米田さんが教育長を務めていた頃、ニセコ町が「観光のまち」と言われるようになり、農業高校であったニセコ高校にそれを活かすような学科をつくれないかと、観光を学べる学科の創設を提案しました。農業と観光の「ハイブリット教育」として、平成4年に学科転換を実施。「緑地観光科」を設立し、その中に農業と観光の2つのコースを設置しました(現在の「農業科学コース」と「グローバル観光コース」)。その大きな転換を経て、現在ではこのコースのプログラムに魅力を感じて、ニセコ町外からも多くの若者がニセコ高校に進学しています。

その他、ニセコ高校で育てた苗物をニセコ町の道の駅で本格的に販売を開始したり、学校のビニールハウスの規模を拡大するなど、さまざまな取り組みを進めました。ニセコ町内の学校校舎の新築も、米田さんが教育長を務めていた頃に行ったそうです。また小中学校では、教科の充実や校舎等の教育条件整備も進めました。

これまでの米田さんご自身の歴史についても教えて頂きました。

歴史を知ることの魅力、自分自身のルーツを探る

曽我の歴史について、米田さんはその多くをおじいさん(貞五郎さん)から聞いてきました。曽我という地域とその成り立ちに興味を持つようになったのは、米田さん自身が曽我に住んでいたからこそ。「自身の家系は曽我家とどんな関わりがあったのか?」「曽我農場って何だろう?」「その当時はどんな状況だったのだろう?」そんな疑問から始まりました。

「自分のルーツは一体どんなものなのか、純粋な好奇心や興味がありました。自分の身の回りのことを考えることから始まったように思います。米田家の家系が福岡県の柳川藩をルーツに持つということを知って、同じ藩の出身に曽我家があって、そこから歴史を詳しく調べるようになりました。」

曽我の歴史以外にも、ニセコ地域全体の歴史にも興味を持ち、これまでにニセコ町でつくられた町史を読んだり、地域の人たちから話を聞いたりしながら、さまざまな情報を集めてきました。

歴史を伝えること

米田さんが、自身の研究調査を本格的に記録としてまとめる最初の一歩となったのが、平成28年12月に完成させた『ニセコの街並み今昔譚』でした。ニセコ町の通りと地番毎に並べられた街並みを、写真と文章で今昔を比較し知ることができる貴重な内容となっており、ニセコ町役場に寄贈されています。

米田さんが編纂された『ニセコの街並み今昔譚』。ものすごい情報量です!

元々は「広く浅く」をモットーに歴史を調査·記録してきたという米田さんですが、この時の活動を機に「きちんとした内容のものを残したい」と強く思うようになりました。

「自分が歴史を記録として残すことを考えた時に、皆さんに理解していただける内容のものを作りたいという思いが芽生えました。これからを生きる人たちの中に、『曽我やニセコってどんな土地だろう』と興味を持つ人が出てくるかもしれない。そんな時に、自分が作ったものが、そうした人たちの役に立てばいいなと思っています。」

未来のニセコへの想い

これまで過去の歴史を丁寧に紐解いてきた米田さん。ニセコの未来についてどのように考えているのかうかがってみました。

「ニセコの魅力は、何よりも”自然”。心が和みますよね。観光のまちだけど、それは自然があることによって成り立っています。京都などは歴史があっての観光だけど、ニセコは長い歴史があるわけじゃない。ニセコは、ニセコとしての自然を基とした観光です。後世の人たちが、ここに住んでいて良かったなと思えるような、生きがいのあるふるさとになっていったらいいですよね。」

ニセコならではの歴史があって、その中で創られてきた誇りがある。住んでいる人たちがそれをお互いに確かめ合って、自分たちらしいまちづくりができたらいいのでは、と優しい笑顔で語ってくれました。

優しいお話口調と朗らかな笑顔がとても印象的でした!

最後に

今回のインタビューは、筆者が地域情報雑誌『BYWAY後志』の曽我地域特集を読んで、その際に米田さんの存在を知ったことがきっかけとなりました。ニセコで暮らす中で、「町内の各地域で、そこに住む人たちの雰囲気や文化があり、それぞれの個性がある」という話を頻繁に聞く機会がありましたが、あまり詳しい情報を知る機会がありませんでした。今回、ニセコ町の曽我という地域の歴史の一端を知ることができ、米田さんがどのような思いを持って活動をされているのか、また「歴史を語ってきた人の”歴史”」を、一部ではありますがご紹介させて頂きました。今回の記事が、地域の成り立ちや文化に興味を持ったり、ニセコ町の歴史をより深く知るきっかけになれば幸いです。米田さん、貴重なお話をお聞かせ頂きありがとうございました!

プロフィール

Photo:佐々木 綾香

米田 齊

ニセコ町曽我の生まれ育ち。狩太尋常高等小学校高等課を卒業後、狩太村役場(現ニセコ町役場)に就職。さまざまな課での仕事を経験し、最後に所属した教育委員会では16年勤め上げ、教育長の役職は8年間務めた。退職後は、ニセコ町の嘱託員として町の条例や規則の整備、また京極町商工会の事務局長を4年間務めた。自身の生まれである曽我の歴史を中心に、ニセコ町全体の歴史にも明るく、さまざまな調査·記録を行いながら、地域の歴史を後世に伝えることに貢献している。

文責:佐々木 綾香

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※掲載の完成予想図は、図面を基に描き起こしたもので建物の形状・仕様・色調・外構・植栽等は行政官庁の指導、施工上の都合及び改良のため、一部変更が生じる場合があります。
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